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なんか、「やる気の温度差が不快」だと感じる事って無いか?
確かに、メンバー全員が一人残らず同じ方向へイケイケだと、
それが変な方向へ向いていたら大変危険な状態なのだがw
以前、「ショップの向かおうとしている方向が…(自分の向きとちょっと違ってた)。」という話をしたが、
それ(向き)だけではなく、推進力の温度差、とでもいおうか
熱の入り方に大きな温度差が見えて、それがなんともおちつかない。
現在メンバーは3人。自分含め。
一人は立案・創始者。一番パワーも熱も高い。
残り二人は誘われ・参画者。自分はある程度「やるからには」という気持ちの入り方だが、
どうももう一人が私生活(他に仕事持ち)の事もあり、
どうも「適当」にしか捉えていない様子(に感じる)。
自分は、創始者ほど常にフルスロットルではないのだが、
『出来れば長く続けられればいいな』というスタンスで居る。
なので、創立者があんまりがんばりすぎている姿を見ると、
「そんなにきばらんといてよー。」と思ってしまう(^^;)
ショップを少しでも広めようと日々奮闘している様子なのだが、
品物が売れないのは自分らのデザインの所為が9割以上あるのだから…と
申し訳なく思ってしまうんだよな。
(創始者があんなにがんばってんのに売れてないから責任を感じるんだよねー。)
(たぶん、創始者も逆に思ってるのだろうが…。)
確かに、本来、自分のような「待ってる型」というのでは、
今の世の中の流れでははっきり言ってダメダメである。
情報力・発信力が大きくものを言う時代。
その重要性を知っているからこそ、その創始者は日々がんばってるんだよな。
だから、本当はこのバランスはすごくいいのだと自分は思っている。
自分のような人間にとって、自分のダメダメな部分を補完してくれる人物。
これほど貴重でありがたい存在はおそらく居ないだろうと思う。
まさに自分が一番欲していた部分…そこに上手くはまっている状態なんだよな。
(そして、相手にとっては、自分に無い能力を上手く利用してくれている。)
そう感じるからこそ、このベクトルのプラスとマイナス方向のバランスに
余分なマイナス力を加えるのは出来れば芳しくないと感じている訳で。
当初から「あんな所ではどうせダメだよ。」「期待は持てないね。」という
オーラを全開にしているのはどうもがっかりしてしまう…。
ただ、その人の意見は完全に間違いだという訳ではないと思う。
ショップが上手くいかないという理由の参考には出来る意見だと思うんだよな。
「あんな所」と言っているのは、そこの製品を作る製造元の技術力だったり、
同じところを親会社している同列のショップのレベルがあまりに「お話にならない」
ものであったりと、そういう部分を懸念しての発言であるようだし、
要は、それを、自分と同じ「参画者」として名を連ねているのだったら、
創始者ががんばってる力を助ける方向へ使えと思うんだよね。
確かに、創始者は当初ほどの猛進は落ち着いてきたようだが、
それでもまだ「ドリーム」によって”見えてない”ところがあるようには思う。
そこを冷静視させるのが、そのもう一人の参画者であるのだと思う…。
それもある意味いいバランスじゃないか。
ただ、やっぱり「温度差」が問題で、ただ本人が冷静視しているだけではなく、
ちょっとは温度を上げて、その創始者と”共に行こう”としてくれるといいのだがなあ…。
んで、その間自分は?
自分は基本ニュートラル(メガテンで言う(?))なので…、
その真中で居心地良く…(笑)(結局それが目的かw)
全くもって今更だが、
エヴァの頭のデザイン初めて見たとき、
「あれ?ファン…キュア?」
と思った人どの位居たのかな。
自分はそう思った一人なんだけどさ。(一度位以前言ったかな。)
自分、韮沢さんの描く身体フォルムが大好物で、
山下さんのメカデザイン(ディスプレイやら小さなロゴ類とかそういうの含め)を
神だと思っている。
その自分の中でのトップ2人が不意に自分の頭の中で出会ってしまったものだから、
変な感覚だったことを覚えているな。
その御二人が同じ仕事をしてた訳でもないのに。(勝手に似てると思ってしまっただけでw)
自分、ラフ画とか設定集とか、
作品製作の過程に描かれたものを見るのが好きだ。
余白に作家がペンを走らせた何気ないらくがきだったり、コメントだったり。
そういうのが特に。いいよな…。
…そういう現場で自分も働きたかったのに…トオイメ
デザインが決定されるまでのいろんな没デザインもすごく興味深いよな。
世に出るデザインが、最終的に「出るべきして出た」ものだったしても、
それまでの過程なくしては生まれなかったかもしれないというところが。
ボツになるものにはボツになる理由が。
通るものには通る理由が。それはなにか。きっと何かあるんだろうなあ…。
渦中にある人間にはそれがわからないんだよな。
だれしも、自分が納得いかないようなものを描いたりはしない(と思う)。
悩み、迷いながらも「こういうのだったら。」と描くのに、それがボツなのか通なのか。
それがわかればあのどーしようもない気持ちと時間からいち早く開放されるのに…。
その分野の第一線を走っている人たちなどは、
われら凡人と違って、それまでにも結果としてすんごいものを作り上げてしまっている
(つまり、実力は世間も認めるものである)のだから、
描きさえすれば良いものが比較的短路で導き出されそうなものなのだが、
必ずしもそういうものではないのだなあ、と思う。
まあ、その原因(?)の一つは、『自分一人で作ってない』ものだから(起こるの)だろうなと思う。
自分作品(自費出版の漫画とか)だったら、その「短路」は出来やすいと思う。
ただ、どちらが『名作』を生み出す短路となるかはわからんが。
結局、どーしようもないくらいに抜け出せぬ泥沼状態に陥ってしまった場合は、
「自分の好き(気持ちいい)と思う部分で描く」が抜け道だったりするんだよな。
相手にあわせようとしすぎて自分の気持ちが入れられなくなってるとか。
お互いに白と黒を混ぜすぎてグレーになっちゃって、お互い当初の色を忘れてしまってるとか。
結局、最終的なデザインを見る人も理屈よりも感覚で見るのだから、
ちょっと一呼吸置いて、立ち返ってみたりするのがいいんだろうな。
場合によるんだが、1テイク目が結局一番よかったな。というケースもあるんだよね…。
自分も今回デザイン(以前描いた絵の再構成デザイン)やっていて、
最初に考えた案のバランスが、後で崩れる事になり(文字の部分の長さ(文字数)が変わった)
その部分がどうしても以前ほどの「いい」感が得られず、
結局全体的に没にしてしまうという結果にしてしまった(自分意志で)。
正直、完全没にしてしまうのは、乱暴すぎなのではあるが(短気は損気の類)、
一度壊れたバランスを立て直すのは、一旦最初から新たに作り直すよりも難しかったりするんだよな。
技術的なところもあるが、やっぱり心理的な部分も大きかろうな。
『感覚』て難しいな。
自分にとっていちばん生で見れない時間…
そこに「開会式」やら「馬術」の放送が…。
開会式の再放送の時間も用事中なのでアカンし、
馬術競技も再放送は無いだろうからなあ…。
ちくそー~…(自前録画か~)。
まあ、それはさて置き。
気づけば自分のサイトの『5周年』をもほっぽり出して、
何をしていたかというと、
友人との共同参画…。とあるショップ(ネット内)のお手伝いをしておりました。
一応30日開店予定。(らしい)
一応Myサイト内にもリンク貼るつもりだが…
米サイトなので、買うにはそれなりの気合(?)が居る…(送金とか輸入とか)。
一応そのアドバイスは出来る…と思うw
というか、その手順くらいは自分のサイトにも載せておきたいものだが…。
「英語が…。」という私みたいな人は、自分にその旨の連絡をいただければ、
店長に直接注文を出す事が出来ます。(自分にメールの時は日本語でよろしくねw)
しかし…実は
ここまでなんとかがんばって(?)デザインアップしてきたが、
そろそろ息切れ状態…w (ある意味、「早くも」?(開店前から))
自分は、国内で見かけるような、「外国人向け」の「おバカティー(Tシャツ)」系は
あまり好きではなく、作りたくも無かった。
出来れば同じショップ内に置いててもほしくなかったくらい。
だが、友人(ショップ主)の呼びかけに応えたもう一人の友人が、
その手のデザインを積極的にアプ。
どうも、ショップ主のアイディアらしい。
つまり、自分とショップ主の友人とのベクトルの向きの違いが
だんだんと分かってきたところ…。
自分もショップ主の意見をいくつかは反映させて、
自分内で妥協できる程度の(自分から見ると)「痛ティー」をアプしたが、
当初の「Myどりーむ」がもろくも崩壊wし、ショップ主から出されるアイディアも
「痛ティー」や「お土産ティー」の様なやつばかり…。
…やっぱり、最初から”そっち系”のショップにしたかったんだな。
というか、そっちの方が需要があるという考えなんだろうな。
ショップ主であるその友人は、自分とは違って、英語での会話が普通に出来る人で、
海外の友人も大勢居り、その「需要」の目測は、おそらく正しいのだろうと思う。
とはいえ、「変な文字(日本語)をただ並べただけ」とか
「萌えキャラ載せただけ」とか、そんなデザイン性もへったくれも無い様な物を
作る意味が自分にはまったく見出せない。
そこに少しでも「センス(こだわり)」を入れられているなら話は別だが…。
先ほど「自分内で妥協できる」と書いたが、
自分は「ただのおバカT」を少しでも違うものにした上でのデザインを
”せめて”やりたい。
最初から、服飾系のデザイン(あくまで「載せるだけ」のデザインだが)は
自分にとって縁遠く(おしゃれ系に関心が薄い)、試行錯誤であり、
この「お土産」系も自分のやりたい方向ではないが、
それなりに良い機会と考え、やっていくしかない。
この企画が早々な失敗に終れば
これまでの苦労がまったく報われないまま闇へと再び落ちていくという事に
なるのだから…。
ちなみに
爪は今のところ、無事。
今日まで大丈夫だから、おそらく黒はないみたいだ。よかった…。
今日、親に指を「詰められ」ました。
(この地方では、「指を(強く)挟まれる」事を「詰める」というw(恐w))
利き手の方じゃなかったからよかったが、
利き手の方だったら商売(?)上がったりになってたかもだぜ。
(キーボード打つのは両手なので痛い(被害はひとさしと中指))
大昔にも親に手の指を詰められた事があって(あの時は車のスライドドア)
それ以来”気持ち”その指はねじれている気がする。
別件だが、小学生の頃教室で指を強く挟まれた事があり
(ドアの冊子で(昔の鉄枠の重いやつ…)不意の事故だったが)
あの時はえらい事になって(数日後元の爪を剥がすまでになった(事故後すぐから病院で処置したが))
その思い出があるのでちょっとビビっているw
(同じく足の親指でも同じ経験が…(長机が足の指に落ちた))
そんな事になったときよりは衝撃が小さかったのでこうはならないと思うが、
「てこの原理」状態だったので、正直どうなのか分からない。
色は黒くなるかも…(damn)。…思わぬところでビジュアル系化かよ(苦笑)
骨折等の大きな怪我を負ったことが無いのはとても運がいいと思うが、
逆(?)に、こんな”つまらん事”に”巻き込まれる”身を少しだけ恨めしいやら
ムカつくやら…。
操作するのにAltをいちいち押さなければならなかっただなんて…。
筋トレ以前に、脳の使用率(稼働率の回復?)のほうが優先率高シな今日この頃。
(筋トレは3日ボーズ…。)
友人からの共同プロジェクト。
ようやく心身ともに乗ってきた(ようやくの巡航速度)。
「一枚絵」や「サイト」とは違う分野にえらく戸惑ったが、
ようやくなんとなく見えてきた。
デザイン納期の関係上、新作のイラストは作れ無いのだが、
昔描いた物を再構築してみたり、かんたんなやつなら新たにデザインしてみたり。
実は、その「新たにデザイン」のところがまたネックで。
こちらのデザインはドローソフトをつかって作るのだが、
以前から「ベクターの画像の作り方。」ってのは薄っぺらく知ってはいたが
今回必要になる「発注時の仕様」ってやつに仕上げるのがもう難儀して難儀して…。
普段、ペイントソフトの補助的な使い方程度にしか使用しないドロ系ソフト。
最終的にペイントソフトで加工するので、結局は「下ごしらえ」な程度の状態でも
なんとかなっているのだが、「印刷」というものに合わせるのには
それなりのルールを知り、それに従わねばならない。
今回、「Altかよ!!」と思わず一人でつっこんでしまったのも、
重なった図形を「重なったもの」ではなく「一つのもの」にしないと
次の作業に行けないというところで、ツールの実行をいくら指示しようとも
一向に作業が行われないので、ほんとにどーしたものかと途方にくれていた所だったのだが、
補助的に表示されるポップアップ(?)で「+Altで~」と出ていたので、
とにかくそのようにやってみたら、ようやく期待通りの結果に行き着くことが出来た。
いままでに、この作業の事だけで、印刷のヘルプページ(英語)やら、アプリの説明書、
関連書籍等々、いろいろと見て周っていたのに、この「+Altで~」という記述を
一つも見つけることが出来なかった…。
つまりは関連書籍どおりにやってもダメだったわけだ。
まあ、一つはその書籍の情報が古いバージョンのものだったという事と、
もう一つの書籍は所詮は雑誌(ムック)レベルだったという事で…。
そのアプリについての専門書でも買ってれば載っていたのかもしれないがな。
しかし…。
いまだに疑問は残る。
どーして「その機能のボタン」を指示(クリック)しただけでは
作業が実行されなかったのか。
何のためのボタンなのか。
…まるで緊急ボタンのセーフティじゃないか…。
必要性が疑われるわ。(夏の球宴が3日間ってのと同じくらい…(?)チャリティーって事なら分かるが(やっぱそうなんか?)。)
まあ、今回、その一つだけは突破できたのだが、
実はまだほかにも壁になってるものが残っているんだよな。
それもいまだ情報を見つけきれていないので、
ほんとに頭を悩ます所である…。このクソ暑いのに…(ー”ー;)。
おもいっきり久しぶりに、筋トレの再開でもしてみようかと
ちょっとだけ思う。
なんだか、精神的に若干の不安定さを感じる今日この頃…。
日々仕事に追われる生活をしていないゆえのやつだと思うが。
一応、友人からの誘いの件は
自分にとって日々の日課とするのにいい機会なのだが、
そこに精神が追いついていない自分がある。
「依頼」とは若干異なる状態である事もあるのだろうか。
「自分意志」で作業を進める形、というのもあるか、
なんというか…自分の中で「ノリ」が出てこない…。
「依頼」という、他人からの「頼」には
すぐにスイッチが入る。(ここのところちょっと鈍ってる感はあるが。)
であるのに、「自分で」「自分表現で」となると、
全然といっていいほどテンションが上がらない…。
目的が設定でき無いのだ…。
前にも言ったが、自分は、自分の表現を世に向けてどうしたいという事はない。
自分で追うものにたどり着ければそれでいいとおもう。
なので、それとは違う目的の為の表現と言うのには
電気の通りが宜しくない。
例え、そこに金銭が発生しようとも、それは動機にはなりえない。
「自由に発表して、そこに対価を支払うのはあくまで相手側の意思。」
だと、割り切れればよいのだろうが…。
自分、寝つきが悪かったりして来ると筋トレを利用するのだが、
ずいぶんとご無沙汰している。近年風邪をひきやすくなっているのも
筋トレサボってる所為だと自分は思っている。(有酸素運動はそもそもやってないし。)
まあ、そんな事よりもだ。
現時点で今自分にとって「達磨和尚」となれるのは、
筋トレくらいであろうからな。
自分のやっている事に迷いを生じさせず、
なおかつ成果が確実に目に見えてくれる(こっちは和尚とは関係ないが、自分のとってはまだ必要)。
そんなものは今の自分には筋トレくらいしかない。
…薪割りの方がいいのだが(人の役にも立つ)、
もう外は蚊地獄だから…。
まあ、もう一つの小さな筋トレ理由は、
見える部分の細すぎる事な…。
やっぱ、たくましい腕。胸筋。ええよな!(個人的には背筋、腿筋の方がええけどな(好み)。)
知人からの「デザイン手伝ってんか。」という
現世への召喚の言葉をかけられたので、
しばらくぶりにあっちの世界から這い出てきた。(苦笑)
やわらかいもの(:布とか)相手だと、あんまり急なテンションが出ないのだが、
とりあえず、急ぎという事もあって、ぼちぼちとやってみる。
実の所、あまりまだ実態が掴みきれて無いのだが、
せいぜい紙か樹脂面にしか「印刷」を入れたことのない自分、
布相手の今のプリント技術ってのは、ちょっと不慣れで、
「依頼主(知人の友人)」に任せきってもいいのだろうが…(マージンとられるし)。
まあ、たまには現世に息継ぎに出ないと、溺死してしまうしな。
少しは勉強も良いかもしれない。
その件とは別に、
知人自身にも「手伝ってんか。」と誘われているので、
そっちの方が幾分その気にはなっているのだが…
「作品が世界に発信される事を…(感じる場にしてくれれば)。」という話だが、
なんだろうな。自分の満足する所と言うのはどこなのだろうと感じる。
以前、とある紙面で、
芸術鑑賞が好きではないという人の中には「(所詮)芸術やアートは作者の自己満足」
という意見があったが、個人的にはむしろ「んなのあたりまえやん。」と
余計な事ながら突っ込んでしまいました。求めるモノが無いものが表現できるかって。
その作品を見たいと思うのは他人の(能動的)意思だろ?と。
まあ、自分がそういう考えだから、自分の描いたりしたものを
公開したり、人にあえて見てもらおう等という事は「どうなのかなあ…」と
思ってしまう。(自分のやってる事は芸術でもアートでもないのだが。)
『人に見てもらうこと。公開することで初めて満足を得られるものなのではないか?』
と、他の友人にも言われた事がある。まあ、そう考えるのが普通なのだろう…な(?)。
だから、皆競って自分作品を公表させたりするんだろうからな。
しかし、公表から得られるものというのは…何がある?
それこそ「自己満足」ではないか? だったら自分にとっては同じ事。
公表しなくても。
他人の感じ方は他人の勝手。なんと見ようが感じようが。
そこから自分自身がなにかもらおうというものはない。
「世間との会話」という事をしたいのならば、公開の理由としては分かるな。
人と会話したいのであれば、公開は必須だろう。
会話を望まないのであれば…必要ないとはいえないか?
自分も、サイトを持って、公表という事は一応ながらやっているんだが、
実の所、公表に積極的というわけではない(いちお、手札としておいてあるだけ(周りがうるさいから))。
依頼されるものは別だが、
自分自身の表現したものが、他人になにか与えられるものだとは思ってないし、
自分は自分の目指す理想の表現方法にたどり着ければ、それが目標であり
喜びなんだろうと思っているのだが…それは違うのだろうかw
…これって、「自信のない 弱いものの言葉(言動?)」なんだそうだ(笑)(し、師匠…)。
確かに、「どうよ自分の絵!」と出せる度胸が無いのは認めるが…
性格の部分ってそこに何か影響加味されんとですかねえw
(だって、自分の場合、いきがってよい結果出たこと一度もない…。)
自分、絵描きじゃないもんな(笑)
絵描きは「その絵で相手に何かを感じさせなければならない。」のだろうからな。
と。
話は知人との話に戻すが、
絵(イラスト)を描くというものと、
デザインするってのは(また)違うんだよな。
キャラクターTシャツですらデザインはやっぱり必要なのだし。
「絵だけ欲しい」言われても、なんか違う気がするんだけどな。
(デザインしてなんぼやと思うけど。)
『食う権利があるのに、食い物が無い。』
『働く権利がある(?)のに、働き口が無い。』
って同意?(権利と言うより、義務的な…?)
「働く場所を選ぶ権利が無い。」
それは、「そういう権利を得る努力をしていない者」に対して
使って欲しいものだな。と思うがね。
人に迷惑かけまくってきた人間と、
社会の秩序に従って「人様に迷惑かけずに」生きてきた人間と…
たまたま同じところにいたからと、
同じさげすみの目で見られては、いささか…と思うのだが。
「そういう時代だから、しょうがない。」
「しかたないのだから、あきらめろ。」
なんと無責任な言葉だろうかと思う。
『大衆は残酷』とはよく言ったものだ。
”自分”以外はどこまでいっても所詮は他人なのだから。
何に固執して生きる事が本来自然なのだろうか。
不自然でありながら、一方では本能のままの生体を有する人間という存在。
不自然のままに生きても生きられず、本能のままに生きても生きられない
そんな『社会』を自らくみ上げて…。
まあ、こういう”あそび”(⇔タイト)があるうちは、まだいいか。
おっと。
人間のそういうソフト的なものではない、別のハードの方で
「終りそう」と友人は言っとったな。
うむ。そちらの方だと、ごく”自然”に事は進むのであろうな。
できればもう10年程前にあいたかったものだがな。
そうそう。
こういうときは、周りが見えなくなるくらいの恋に落ちるのが
一番だべな。
そういえば、自室から見える「黄色い悪魔」は消えたようだな。
とりあえずは、よかったよかった。(我が家の防風林:杉)
と、安心は出来んのよな。
うちの親は、ここのところヒノキ系の方が強く出るようになったとかで、
まだまだ自分も油断できんと言う訳ですな…。やれやれ。
そういや、その親だが、ここのところ、腹が痛いと言っててな。
病院行けやと言ってたのだが、先日行ける機会があったのだが、
「保険証が来てない」とかで。
とりあえず、その時なくても、返金はしてもらえるん(だったと…)だが、
なんか、それがいやだ(面倒だ?)とかで、
まだ病院行ってないんだよな…。(今Gas代高いからか?(何度も行くのが嫌な理由は))
多分、その「行けた日」に保険証が普通に届いてたら病院行ってたのだろうが、
何故保険証が届いてないんだろうか??
症状がこの数日で悪くなってて、その届いていない保険証のせいにしても、
多分受け入れてはもらえないのだろうが(被害としては)、
どういう怠慢っすかね。
ここのところ、自分も多少見る目が厳しくなってましてね…
この不景気のなか、仕事もまともにやらない人まで首切り無しに
定年まで図太い人ほど居座れるってぇ体質に、今更ながらに
それはどうかと。
もちろん、そういう人の分までがんばってるまじめな公務員さんが
おられるからこそ、なんとかなっているのだろうから、
全てのひとがダメだとは思ってはいないが。
(かっこいい課長さん居たな~…、あの人はたたき上げっぽかったなー(多分中途))
しかし、ほんと、「仕事ができる人」よりも、基本は
「そつなくできる人」が、ええんやもんな。
改革とか、改善を言うやつは煙たがられるが、
習慣とか前例どおりに素直に従い、問題を起こさないという人間が
重宝される。(次の課長さんがそれっぽかったな~…。)
そして何より、人間関係が大事。
ん。「何適当に言ってやがる」?
だとしたら、自分の知ってるあるところでは。という事で。
何でも能力主義にすべきだとは思わないが、
能力のない人間のせいで、業務に支障をきたすようなら、
そこは責任もって見直せ!と言いたい訳で。
(その人も正職員ってことは、何かの能力認められて入れてるんだろうから…)
(それとも…○○○○のコネっすかねえ…。おとくいの。)
んで、そういう(自分のような)意見を言うやつ(同じ職員)を
周りが黙らせようとするな!と。ゆいたい訳で。
こえェっすよその体質…(マジに)。
あ…そう感じる人が多いから…革新的な人が市長とかに選ばれちゃったりしてる訳?
(内部系より外部系。とか)
しかし、ああいう方々でも苦戦は必至だろうなあ…
なんてったって、堅固やけんのお…。
保身に精魂傾けてる人たちが集まると…、強いよ~…。
やべえ。あんまり言うと、ケサレル?
超弱小、超辺境やき、大丈夫か…w
さーて。
キーボードあらためてきれいにしてみたのは、
これからの長丁場に備えての、気持ち的なものもあったのだが、
実は、あんましまだ気分が乗ってきていない。
成績が思う様に伸びてなかったせいでもある。
(伸びてないどころか、下がってたろうな、あれは。)
おそらく、そういう「結果」を気にしなくてもいいような
そんな状況に自分が居れたなら、これから再び始める作業自体、
自分はかなり好きな作業であるので、気分もそれなりに盛り上がれるはずなのだが…
こういう部分が「趣味を仕事にするな」という意味なのだろうな。
いや、しかし、それ(趣味を~)は自分の場合はちょっと違う気がするな。
これ(これからやる作業)は趣味ではないし、
本当の自分の趣味を仕事(食える糧という意味)に出来るとは思えないし…。
そうするつもりもなかったわけだし。
自分に余裕が欲しいぜ余裕が…。
自分の創作活動に専念できるような余裕が…。
…敗者にゃ無理か~w
あ、探してた黒(えのぐ)が見つかった…。
「タイガー」ってのは、友人が描きたいっつうんで、
自分はサイクロンのがいいのに(描くなら)、
付き合ってしぶしぶ描いてんだが(おっさん担当wでもスーツ姿)、
そしたら言い出しっぺの方がなんだか今度は(私のせいで)しぶしぶ描いてるような
感じになってて、わしゃなんともやーな気分になりつつある今日この頃。
そういう事が以前にもあったので、
だからこそ、何度も事前に念を押したにもかかわらず、
もし今回も前回と同じようなことになりやがったら、どうしてくれようか…(ふふふ)。
ちなみに、前言ってた「もらってなかった金」はいただきました。
いつも世話になってる人なので、ほんとにもらわなくても良かったのだが、
機を見て、思い切って言ってみたら、
「え。そうだっけ??」という事になり、自分は「まあ、いつでもいいんだけど。」と言うと、
「そういうの(金を払わないなんていうのは)はいやだから。」と。
だったら(嫌なのだったら)、忘れなきゃいいのに…。と思うのだが…。
その件に関しても、その後もなんとも微妙~な空気になってて、
「(あれ~?私ほんとに払ってないんだっけ~??)」みたいな感じだったので、
なんだか、わし、悪い事した?みたいな気分になっちゃいまして(なんだか気まずかった)。
(それとも、渡していなかった自分への自己嫌悪だったのだろうか…。)
でも、金ではないのだけど、貸した本を返してくれてなかったり、
くれる(正しくは交換だが)と言ってたものをくれてなかったり…
これも、なんだか今更に言うと、多分、「そうだったっけ?」と
言われるだろうから、言いづらいんだよな~…。(うちにお邪魔するたびに目に入る…w)
前に一度貸してる本のことを言った時も「え、これって自分のじゃなかった?」
と、言われましてね…。結局自分のでないと分かり、返してもらえることになったのですが、
それもまだ実際には返してもらってないんだよね…。
これって、自分が悪いのかなぁ…。
返すって言った時にすぐに返してもらうべきなんだろうな
こういうタイプの人間に対しては…(教訓)。
しかし、普通、人のものとか、人からもらったものとかって、
忘れるもん? 自分だって、ずっと借りっ放しってものはあるんだが、
それでも、それを「自分のもの」と思うことは無いぞ…?(自分にはないと思い込んでるだけか?)
いや~、ほんと返して欲しいのだけれどな。まいったな~…。