知人からの「デザイン手伝ってんか。」という
現世への召喚の言葉をかけられたので、
しばらくぶりにあっちの世界から這い出てきた。(苦笑)
やわらかいもの(:布とか)相手だと、あんまり急なテンションが出ないのだが、
とりあえず、急ぎという事もあって、ぼちぼちとやってみる。
実の所、あまりまだ実態が掴みきれて無いのだが、
せいぜい紙か樹脂面にしか「印刷」を入れたことのない自分、
布相手の今のプリント技術ってのは、ちょっと不慣れで、
「依頼主(知人の友人)」に任せきってもいいのだろうが…(マージンとられるし)。
まあ、たまには現世に息継ぎに出ないと、溺死してしまうしな。
少しは勉強も良いかもしれない。
その件とは別に、
知人自身にも「手伝ってんか。」と誘われているので、
そっちの方が幾分その気にはなっているのだが…
「作品が世界に発信される事を…(感じる場にしてくれれば)。」という話だが、
なんだろうな。自分の満足する所と言うのはどこなのだろうと感じる。
以前、とある紙面で、
芸術鑑賞が好きではないという人の中には「(所詮)芸術やアートは作者の自己満足」
という意見があったが、個人的にはむしろ「んなのあたりまえやん。」と
余計な事ながら突っ込んでしまいました。求めるモノが無いものが表現できるかって。
その作品を見たいと思うのは他人の(能動的)意思だろ?と。
まあ、自分がそういう考えだから、自分の描いたりしたものを
公開したり、人にあえて見てもらおう等という事は「どうなのかなあ…」と
思ってしまう。(自分のやってる事は芸術でもアートでもないのだが。)
『人に見てもらうこと。公開することで初めて満足を得られるものなのではないか?』
と、他の友人にも言われた事がある。まあ、そう考えるのが普通なのだろう…な(?)。
だから、皆競って自分作品を公表させたりするんだろうからな。
しかし、公表から得られるものというのは…何がある?
それこそ「自己満足」ではないか? だったら自分にとっては同じ事。
公表しなくても。
他人の感じ方は他人の勝手。なんと見ようが感じようが。
そこから自分自身がなにかもらおうというものはない。
「世間との会話」という事をしたいのならば、公開の理由としては分かるな。
人と会話したいのであれば、公開は必須だろう。
会話を望まないのであれば…必要ないとはいえないか?
自分も、サイトを持って、公表という事は一応ながらやっているんだが、
実の所、公表に積極的というわけではない(いちお、手札としておいてあるだけ(周りがうるさいから))。
依頼されるものは別だが、
自分自身の表現したものが、他人になにか与えられるものだとは思ってないし、
自分は自分の目指す理想の表現方法にたどり着ければ、それが目標であり
喜びなんだろうと思っているのだが…それは違うのだろうかw
…これって、「自信のない 弱いものの言葉(言動?)」なんだそうだ(笑)(し、師匠…)。
確かに、「どうよ自分の絵!」と出せる度胸が無いのは認めるが…
性格の部分ってそこに何か影響加味されんとですかねえw
(だって、自分の場合、いきがってよい結果出たこと一度もない…。)
自分、絵描きじゃないもんな(笑)
絵描きは「その絵で相手に何かを感じさせなければならない。」のだろうからな。
と。
話は知人との話に戻すが、
絵(イラスト)を描くというものと、
デザインするってのは(また)違うんだよな。
キャラクターTシャツですらデザインはやっぱり必要なのだし。
「絵だけ欲しい」言われても、なんか違う気がするんだけどな。
(デザインしてなんぼやと思うけど。)