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ねみー。
やはり寝不足に。
「パンが無ければケーキを食べればよい。」
”それ(その地位)”が当たり前と思ってしまっている者には
考えも及ばぬ事だろうが、そうでない者にとっては
屈辱ともとれる場合がある。
前回は間接的なむしゃくしゃだったが、
直接的なむしゃくしゃもあった訳で。
例えるなら…同じ会社で働いている二人がいて、
ボーナスをもらえる身でない者(自分)が、
ボーナスを手にした者から「今年は○○(具体的金額)でさー。足りねえよ。」と
自分に言われたような事。もちろん「分かってて」だ。
これは…、自慢したい訳?
「少なかったんだ大変だね」とか言って慰めてほしい訳?
それとも単に馬鹿にしてるだけ?
同じ企画を持ってって、自分だけ採用されたとかってのの腹いせ??
「我の方が上なんだぜ」って事を確認させたい訳?
いやね、その「ボーナス」はあなたが働いた分の報酬な訳だから、
もらって当然だし、いくらもらおうといいのですがね。
それを面と向かって言うか。もたざる者に対して。
いや、「持っていない」からこそ(具体的に)言うのか…。
同じく「持っている」なら、言えば自らも比べられる事になるからな。
自分は安全圏にいて。という事か。
これは例えなので、自分の立場を表したものではないが、
気持ち的には似たようなもの。じゃっかんながらムカついた訳よ。
別にどっちが上とか下とかそんな風な意識は持っていなかったが、
そんなふうにされちまうと、反骨しちまうよなあ…(ーεー)。
がんばって絵うまくなろっと(せめて)。
自分の今月の占星占い。
『月後半はやる気減退』と書かれていた。
自分、占いは見るのは好きで読むこた読むが
あまり気にとめないのだが、この言葉はやけに気になっていた。
「絵のことが上手く行かずにやる気が無くなるのだろうか…。」と
思っていたが、もしやそれだけじゃないのかー!?と思ったり(笑)。
絵のほうはまだどっちにころぶか分からない部分ではあるが、
”さらに”やる気が無くなるような事にでもなるのだろうか…((;゚Д゚))
なんてことだい。
(画像アップが無かったころに描いてたアナログ絵は)
(だいたいこのくらいかな。今描きかけが後2点。)
むしゃりくしゃりとした時は。
ほぅ…(ためいき)。
きまぐれオヤジも久しぶりだが、
(別にその間(描いていない間)むしゃくしゃとした事が無い訳ではないが)
ちょっと「ガリガリ」とやりたくなって、描いてみた。
本当は久しぶりにえんぴつ(最近ずっとシャープペンシルとかばかりだし)で
ガシガシとやりたかったのだが…
いざ自分の周りを見てみると、(てごろな)鉛筆が…。
B4のえんぴつはたまに使うので(カーボン代わりに)何本か身近にあるのだが、
自分、何か思いつきの時はすぐに筆記具が手に取れないと、
それだけでやる気が若干ながら失せる。探せば探すほど失せる。
なので、自分は普段必要となるであろうものは手の届く所、
あるいはすぐに分かる所に置くようにしている。
「一本見つかった!!」と思って引き抜くと、それは2H。「薄!!」
普通の鉛筆(HBとか)。思えばそうとうに使っていなかったのだなあ…。
結構探したが、見つからず、結局今回もシャープペンシルで描いた。
シャープペンシルだとあまり本気にガシガシできないので
若干不完全燃焼気味…。
今描きかけの絵がまだ順調には行っていない…
まだ先が読めず、気持ちが焦りを憶え、ちょっとイライラしてきている。
というのもあるのだが…
やるせない気持ちに… また陥ってしまったので、
今回またこうやって”吐き出した”訳で。
がんばる事に意味があるのか。という気持ちにまた陥る。
自分が”そうしたいから”やっているはずなのに、
また回りの芝生がよく見える。
上手くも無いものがちやほやともてはやされ、
高額の取引がされる。
自分も上手くないのだし、絵で金儲けがしたいわけでもないし、
ちやほやもされたくないのだが(おだてられると自分を見失うからな)、
少なくとも「こいつよりは…。」と思うようなものが
”うまくやって”もてはやされているのを聞かされると、
やるせなくなってくるって訳よ。
「つまりは結局、○欲かよ。VHSの勝因原理ってことかよ。」
「絵の技術とかそういう事は関係ない(○欲が先)ってことかよ。」
と。
(別に○禁な絵を描く事は…まあ、いいとは思うんだが(絵描きな目で見てうまけりゃね))
(「おーおーこんな絵で(デッサンのへったくれも無いな)」なのが)
(何万とかで取引されてるのを見るのがね。納得いかん訳よ…。)
(結局、見境なしって訳やねぇ…。)
ま。だからこそ、こうやって無欲にオヤジでも描いて気持ちを少しでも
落着かせようとしている訳よ(笑)。(…無欲?w)
自分にもっと画力がありゃ、少しは言う事に力を与えられようが、
今の自分じゃやっかみなだけだ…orz。くそー。
こういう時、薪割りでもやればまたいいんだが、
まーだこの日中の日差しだと日焼けするんだよな~…(涙)。
蚊も全然元気だしな。(外で薪割りなんてやったらもう即行餌食だよ。)
そして、
こんな時間までこんなことしていると…
また眠れなくな~る。という寸法…。やれやれ。
先日、
朝の番組で「家でよく物を無くす人のための」というツール(道具)を
紹介していた。
家で出掛けに見失いがちな鍵やケータイに
発信機のような方をあらかじめ付けておき、いざという時
探知機(iフォンよりちょっと大きいくらいだったかな…)を使って
音と光(矢印)で発信機の位置を示してくれる。
というものだったが、
多分、「よく物を無くす人」はその『探知機』の方を今度は無くすだろうな…w
と思ったり(^^;)
イチロー選手の世界記録樹立。
すごいね。
しかもまだまだ進行形。
進みつづける。
『何よりも、野球が好きな事。』
それが原動力。
か。
いやー、やっぱ天才だよね。
「好きだからがんばれる。」という事は誰にでもあるが、
こんなにストイックに、淡々と…
そして結果をちゃんと出す。
ベースボールは日程が決まっていて、
自分の都合・体調にあわせちゃくれないし、
条件・状況は毎回常に変化しているし、
チーム競技だからこれまた自分のことだけやってりゃいいって事は無いし。
ケガが無いってのもスポーツ選手としてはほんとにすごいよね…。
ワンシーズン最後までケガ無く結果を出しつづける事すら大変なのに、
それをずっと毎年だからね。
プレー中は常に人の目があり、
常にプレッシャーを感じ、
そんな中でも『自分』のプレーができる。
それを支える日々の練習。
『好きな野球』を最高の状態でプレーできるように。
そういうことが常に集中してできる。天才…天性の才能。
自分などがこんな凄すぎる人の言葉から直に学べる事はほとんど無いが
(すでに凄すぎて、いきなり同じような事はまずできん…ーー;)、
こんな凄すぎる方だからこそ、その「言葉」には説得力がある。
「プレッシャーには弱い方だ。」とおっしゃられていたが、
WBCのような大舞台の極限のプレッシャーを経験した事が、
今に生きている。と。
自分は思いっきりプレッシャーには弱い。
へなへなな自分をいきがって大きく見せようとするかのように、
とにかく普段の自分の状態なんて無くて、
結局ぜんぜんダメダメな結果に終わる。という。
たまたま運良くそれで上手くいったことも無くは無いが、
ほんとにそれは運が良かっただけで、
以後の経験(教訓)にはまったくならないし、
そんな状態になる自分にいつも嫌悪感すら感じている。
虚勢を張っててバカじゃないかと。傍目にも恥ずかしい。
だれも自分などに過剰の期待などしていないのに…(普通で十分なのに)。
とにかく、人前でも普段の『普通』が出せるように自分はなりたい。
人に「よく見せよう」等という意識が芽生えて来ないようにしたい。
絵を描いている最中を人に見られているだけでも意識してしまう自分…
次第に意識が視線の方に大きくとられ、絵なんて描けやしなくなる。
やっぱね、練習だよ。
あれほどのプレイヤーでも毎日毎日欠かさず…。
それ(厳しい練習)が彼自身を支えている。
少しくらい練習をゆるくしても、彼くらいのプレーヤーなら…
しかし、彼はそうしない…。
絵を人前で描く事は自分の場合はほとんど無いが、
「よく見せよう」等と思うのは
間違いなく今の自分に自信が無いからだ。
自分に自信があれば人を意識する必要も無いし、
普通にしてていい(と思える)のだし。
あんな凄い人でも、日々の練習が
プレッシャーをやわらげてくれていると思えば、
自分も練習をやれば…、少しは『普通』にしていられる事ができるだろうか。
と思ってしまう。
まあ、実際は性格の部分も大いに関係しているのだろうが
(自分ほんとビビリだし)。
自分、絵を描く事が好きなのは間違いないのだが…、
そのために”毎日欠かさず”練習する事が未だ無いってのは、
「それほど好きじゃない?」という事なのだろうかと思ったりもする。
他に好きな事が多すぎなのか、あるいは…ほんとに”そうでもない”のか。
少なくとも、自分には天才となれるようなその手の天性は
持ち合わせていないようだ(笑)。
絵とかってすぐに出来上がらんからね…。
すぐに結果が出ないんだよね。
「結果が出ない」ってのはどの分野でもそうなのだが、
『一つの練習』が数日間かかる事もあるからね…。
そこをさらに積み重ねて、その先にあるかないかの結果(成果)があるわけで。
じりじりとした状態に辛抱ができないというかせっかちというか。
ほんとに何事にもかえても絵の事だけという集中があればいいのだけどね…
立体物(フルスクラッチ)も好きだし、ゲームで遊んじゃう事も好きだし…
こんなじゃだめだよね~…。
甘いんだよね。考え方がねいろいろと。
こんなんで上手くなりたいなんて事だけ言ってちゃね~。はぁ…(ー ー;)
…と、それだけ書いていては「手は動かさず口だけ人間(何もせずに希望だけを願う人)」
であるかのようなので、一応「手も動かしているのだが…」という所は
書いておこうかな。今は「じい様絵」と「(赤に対して)青い方」を描き中。
今日はちょっとだけ複雑な気持ちになった話。
自分の描く絵が売れるものなどではないという事を自覚した上での話だが
自分の絵にもし誰かが価格をつけてくれたとして、
それがもし高額になってきたりした場合…
自分もやはり絵に対する考え方(向かい方)が変わってしまうのだろうな…
という事。
こういう話は時々ここで漏らしてはいるのだが、
今日は友人と話していて、それを少々印象深く感じた。
友人は絵を「金のため」に描いている。
そして自ら「どれだけ効率的に、楽に、簡単に描いて稼ぐか。」という事を
話していた。
その友人、自分も絵が上手いと前から思っていた。
しかし、こんなにも絵に対する考え方が違ってきているとは思っていなかったので
ちょっとショックを受けた。
友人の考え方はけして間違っては居ない。
むしろ自分のほうが正しくは無い。
自ら一人では身を立てられないくせに、その最低限の稼ぎもせずに
口だけ言うのは人として恥ずべき事でもあろう。
ただ、そんな自分が「絵が上手い」と思っている友人が、
自ら絵の質を落としかねない事をしている、いや、せざるを得ない状況にある
という事が、ちょっとさびしい。
実際、その友人の思うとおりで、
少しでも「効率的、楽に、簡単に」という工夫をしなければ
採算は素人ではまったくもってとれない(合わない)。
つまるところ、必然的にそうせざるを得ない状況な訳で。
(友人は趣味で金にしようとしているのとは違う。)
(いろんな求職(普通の職に)はしているが無いし、受けても受からんらしい。)
もう一つ、何事も、お金という基準に変換される時、
それが「そのもの」の価値より価値基準の「差」としてみてしまうという事も
起こり得る。
例えば、1万円の絵と5万円の絵。
それらの内容がたとえまったく違っていても、値段がつけられた時点で
5万円の方が「良い絵だ」と”評価された”と感じてしまう。という事。
内容が違ったり、ジャンルが違ったり。
お金に変換される前(お金で評価がつくまで)は比べる事の無い事でも、
一旦同じ基準に直されると、一気に見え方が変わってしまう。
そして
その2つが重なった時、
絵は「より楽に」「より高値になる内容を」という方向に行ってしまう…。
絵を描く意味や自分の意志を失って。
友人はそういうことを身に長く感じてきている為に、
よりそういう絵の取り組み方になっているのだと思う。
基礎もデッサンも上手さもそこでは関係なく、
「流行の」「好まれる内容」で”ありさえすれば”値段がつく。
そこに、「がんばり」とか「こだわり」とか、
そんなものは持つだけムダ…というか、持てば裏切られるだけ。と。
自分はやはり、そういうところ(世間に近い所)には
身を置かない方がいいのだろうなと…そんな風に感じた。
自分は周りに左右されやすいというか…邪念が強いというか
意志が弱いというか。
絵にかける時間とか手間、そういったものを
金とかそういったものに一瞬も惑わされず
絵をよりよくする為と…、
そして他との比較ではなく自分の絵自体をどうしたいのか
それだけを思って描いていたい。
よく、「趣味は仕事にしない方がいい。」という話を聞くが、
つまりはそういうことを言っていたのだなと(あらためて真に実感)。
自分のスタイルを変えずに貫き通す事が「仕事」になると
そうとう難しいことなんだなと。
いや、仕事というところでも自分のスタイルはある程度保てる。
やっぱり、金。カネ(いまや生きる為に必須なもの)が
身近に感じるような状況にこだわりたいモノを置くべきじゃないって事。
本当に自分の信念を通しつづけるには趣味に徹するか、隠遁生活に入るか…。
(…それか、天才か。周りを全く意識しないくらい常に集中できる才能。)
自分は本気に隠遁に入りたいくらいなのだが、
「ゲームが好き」とか「音楽が好き」とか言ってたら
だめだなー…隠遁は出来んばいね。
でも
そういう「雑念一切」を排してくれるのが…
音楽だったりも、するんだな(^^@)。
とりあえず、
今回のはとてもいい勉強になった。
描きかけのものも含め、残りの分が一旦描き終われば
早めに抜けよう…。
ブログの方はそれなりに更新していたので、
サイトの方の放置をそれほどに感じていなかったのだが、
気づくと前回の更新(画像等の追加)から約2ヶ月も空いていたのだな…。
その間、片手間らくがき以外の絵をまったく描いていなかった訳ではないのだが
更新がこんなに空いていたとは。
絵は合間合間(8月は集音作業のね)に描いてはいたのだが、
いずれもアナログなんだな。
それも自発的というよりも…誘引型で。
内容を見たら「なるほどな」と納得されるだろうか(^^;)
いくつか在るので、残りは次回以降ということで。
(他のは全部「なつかし系」なので、これ系はもう無いです(^^;))
(変に期待されても困るので…w)
(耳の形も個人個人で違うからね。)
とりあえず。
片手間らくがきのラスト…かな?
集音作業も一応終わったし、一通り聴いてみたし(やっと一周した…^^;)。
しばらくは「片手間」な落書きをする予定がないので
一応「第1集」は終。かな。
とはいえ、
ここでさんざん言っていたように、
完全に「完成」という訳でもないんだよな…。
まだまだ手を入れつづけられてしまうし、
(おかげで定着剤がいつになってもかけられん…)
自分でも「完成!」とはまだ思っていない。
描こうと思えばほんとにまだいくらでもいけそうなんだよ…これ。
(このままにしておくのも実は保管が問題だったりも…下手に何かに挟むと色移りが…)
今、実は自分のじい様の誕生日に向けて一枚絵を描いていて、
そいつにしばらくかかりきりになるので、
「この『リベンジ』も一旦アゲるか…。」ということで
今回こんなながらアップしてみた訳です。
今回こうやってアップしてしまったので、
以後手を加えなくなってしまうかもしれないが、
やっぱ未完といえばまだ未完。
まあ、つまるところ、
『絵』にしたいのか『リアリィ(実写っぽく)』にしたいのか
未だ中間をうろうろしているので、完成できてないのだろうな。
それに、「じい様絵」の制作のほかにも、
ヒコゾーさんの本も入手してしまったので、
そっちの絵を描きたくなってしまう可能性も大で…。
「片手間」がなくなってしまうんだよね。
今回のらくがきは前回のリベンジという事だが、
仇は取れたかちうと、前のが「戦わずして敗走」だったので、
前のよりは「前が向けたかな?」とは思う。
前の時は「髪」で「勝機なし」として、顔まで行けなかったので
似せようとか整えようとかそんなの一切やってないからね(笑)。ひどいよね(^^;)
今回の方も、結局「髪」は大差ないし自分の理想どおりにはなってないし、
(あの「奇跡の出会い」はどうなったのやら(笑))
その点はいたって中途半端になってしまったのだが、
一応、顔は以前のよりは調整した…つもり。
「どれに似せた」という訳ではないが、こんな感じかなと調整しながらやってみた。
(「横顔」と思って当初参考にしていた彼のイラストが、)
(描いてるうちに「ちょっと斜めから」方向だという事が分かって)
(そこでまた予定が崩れる事にはなったのだが…(^^;))
まあ、またもや「口」がアレなんだが…こんな口の実モデルが無いんだもん!!(笑)
(↑の参考イラストは「口」でちょっと斜めからという事が分かったんだよね。)
(少し「顔の向こう側」が見えてるんだよね…。誤算だった。)
まあ、また何度でも描くことになるだろうし。
まだまだ終わらないね。リベンジ。
しかし、次はまた違うアングルからかな(^^)。全身とか。ね。
実のところ、現時点で「かなり動きのあるカッコ」ってのを描きたくてむくむくと
いろいろ膨らんではいるのだが、彼はあんまり「大きなアクション」が無い、というか
”イメージでない”ので、別のキャラでやら無いといかんかなあ…とか。
ここずっと「オリジナル」の方にイラストが増えてないので、
オリジナルにしますかなぁ…。
ん?
彦造さんの絵の魅力は…その内容にある
という風に描かれていたが、
自分もそこに惹かれているのだろうか…?
今のところ、自分はその絵。デッサン力とか技術力とか
そういうのに「すげえ!」と思い、惹かれていると思っているのだが…。
もちろん、描かれている人たちはカッコエエと思ってるけれど…。
やっぱ、体つきとか、表現力とか、技術力とか、
そっちに目が行くなぁ…。
どちらかというと内容のほうにはまだ意識が行っていないというか…。
(だから、刀の先に描かれていた生首に気づいてなかったりして、)
(2度目でふいに気づいて「どきり」としたりする…(^^;)。)
実物っぽく(完璧なデッサン力)、だけど、ちゃんと絵で、
でもリアル以上の存在感。
まさにそういうものだと思う。彦造さんの絵は。
憧れる。
自分、「小説の挿絵」として彦造さんの絵を見た事が無いので
見方がちょっと違うんだろうな。
惚れ所がいきなり絵だったって違いだろうな。
(小説の挿絵から好きになった人は内容も込みなんだろうけれど。)
そういえば、先日の教授(坂本さん)の出ていた番組。
以前どこかでも耳にした気がするのだが、教授は
「歌詞は耳に入ってこないんだ。」という事。
教授、サ○ンの曲を聴いてるときもそんな聴き方していたもんな…。
歌が入っていても歌詞を聞いているのではなく”音楽”を聴いている。
音と歌(声)いっしょになった”音楽として”聴いている。そんな感じ。
自分も教授みたいに「聞こえな」ければいいのに…。
自分の場合は、歌が「聴こえて」しまうので、
歌詞の入った曲は『音楽』というよりやっぱり『歌』なんだよね…。
BGMとして使えないし、あんまし好きじゃない。
賛美歌系とか、外国語とか、歌詞の内容より音としての声の曲なら大丈夫だが。
歌が好きな人の聴き方と、自分の音楽の聴き方って、ちょっと違うんだろうな。
曲に歌詞を乗せてメッセージを送るというのもすばらしい事なんだけどね。
曲自体のそのままを感じるってのも、イイよね。
絵でも音楽でも、いろんな見方感じ方あって良いんだよね。
決め付けはなんでもいけないね。
彦造さんの絵力の理由。
その一片ともされるものが書かれてあった。
(その本の執筆者の分析によると。)
(彦造さんの)父親の存在。
憧れとなる先駆者の存在。
そして、命をかけるほどの自虐(?)。
だとか。
彦造さんの父上のような父親の存在ってのは、
今更自分にはどうしようもない事なので、こればかりは仕方ない(真似できん)。
彦造さんは早くに母上を亡くされ、一人息子として
父にとても愛されて育ったそうだが、
同時にとても厳しく育てられたとか。
自分も父からは愛されていると思っているが、
厳しくは育てられては居ない。(母親も健在。)
まあ、こんな甘ったれた(甘ちゃんな)自分を見りゃ想像も易かろう(笑)。
彦造さんのお父上は、
「それ(仕事)がうまくできなければ腹を切れ。」と短刀を渡したとか。
そんな、物事に対する向き合い方?そういったものを厳しく教えた父親ってのは
すごいね。もちろん言うだけでなく、自らもそうとう律しておられたのだろうな。
憧れの人の存在ってのは自分にも幸いにしてある。
惚れやすい為に何人かあったりするのだが、
彦造さんももちろんその一人ですし。
・・・。あんましたくさんに惚れるのも良くないんかな…(^^;)
なんだろな~…。みんなそれぞれ「この人最高!」と思うのだが、
「100%この人の描く絵全てを完璧に同じように描きたい。」と思うかというと、
そこから自分にとっての完璧なものを作り上げたいと、ある意味虫のいい事を
思ったりするので、一つには絞れないんだよな。
(つまみ食いばかりしているから、いつまで経っても満たされんのかな…。)
そして、命をかけるほどの自虐…。か。
「自らを追い込むことによって極限状態で得られるエネルギーを絵に注ぎ込む。」
彦造さんのやられてたのは、食事(制限)で、塩・米・水等以外を一切断って、
その期間を過ごす。とか。(彦造さん元々虚弱でらっしゃったそうなのに。)
自らを餓えさせ、その中で得られる高揚感とか、そんなのをエネルギーにしていたとか。
「自らを飢餓状態に。」ってのは、山岳信仰とか…、なんていうんだっけ…苦行?
ああいうのでもやることだよね? 修験道?か。
んむー。つまり、神がかり的パワーを得るには、そこまで自分を追い込む必要が
あるって事かー…。
絵に対する姿勢が、つまりは文字通りの「一生懸命」なわけだ。
なるほど。絵に魂がほんとに注がれてるようなもんだ。
だからか、これほどまでに魅入られるのは…。
んー。
この「飢餓状態にする」という事を、それほどまでの本気の決意を持って
と見てもいいのだが、確かに、そこでしか得られぬものというものが
あるのだろうな。
ん~…。
絶食(みたいなもの)か~…。
一人暮らしやれば自然とそうなる可能性が自分には無きにしもだが(苦笑)
(彦造さんも何度もこれで倒れられたとか…)
自分これをやったら、たぶんあんまり保たんな~(^^;)。
いや、それ以前に、自分ビビリだから、”そういう”極致に至る前に
びびって止めちまうな。高揚感なんてもの得られる前に。(しぬ…。)
しかし、この荒行、彦造さんは小学生の頃からやられてたとかで…、
なんちう意志の強い…。
(そういう教え(信仰?)が伊藤家には代々伝えられていたらしいが。)
そんな苦行を何度もされても、彦造さんは100歳まで生きられた(凄)訳で。
もちろん自らを普段から鍛えておられたからであろうが…、
いや、やっぱちょっと今の自分にゃその勇気はないなー…。
やっぱ環境ってのも関係あるんだね…。
家庭環境だったり、時代環境だったり、自分を取巻く周りの環境だったり。
自らの意志の強さ というか
とにかく、自分はほんとに甘い。甘いんだなと、つくづく思わされた。
たしかに、ほんとにそうだ。こんなじゃ100%良い絵は描けない。至れない。
本気で命をかける意思が自分に無ければ、一生”それなり”なものだ。ね。
何事にも覚悟がないね。自分。・・・ビビりだから(;_;)エーン
先駆者としての「華宵」さんの良かった(絶大な人気を得た)理由は
「『美少年』が描けた事」だと書かれていた。(書いたのは彦造さんでなく本の執筆者)
美少年なんてかけねーよー(涙)。そうだよー、それが描けるセンスすら元々無けりゃ
極致とか荒行とかそんなの出来たってだめって事なんじゃーん…。
つうか…、自分、描くとしたら少年でなくオヤジだもんな…(笑)。どうすりゃいいんだ??
・・・。オヤジでえろすって…気持ち悪…(^^;)。
ああ、えろすって多分自分極端(違う意味)に考えすぎだね…
怪しい魅力を持ったオヤジって思えば…(微妙…)ダメダorz
(…ある意味今自分『瀕死』状態カモ(笑)。しかも自分で陥ったから『自虐』…?)
(・・・。最悪でし…(涙)。)
本が届きました。
…結構朝の方に。もっと夕方等でよかったのに…(^^;)身勝手
以前、彦造さんの画集をご覧になった方が、
「おなかいっぱいになった。」と
どこかで漏らしていたような記憶があるが、正に。
「腹いっぱい」というか「胸いっぱい」というか。
この方の絵は、なんだか不思議な感じがする。
緻密で、リアルで、バランスも非常に魅力的で…、
構図も迫力とか緊迫感とかあって、静と動があって…
嗚呼!上手い言葉が見つからない(^^;)
見ていると妙な感覚に陥るというか…引き込まれていくような感覚に陥るというか…。
その絵を見ている自分の存在一切が無くなるというか。
全ての意識ががっちりと掴まれ引き込まれてしまう。というか。
おそろしい位に。
それと、自分にこれまでに無い部分に入り込む感覚。
自分の憧れとするいくつかのものたちの、これまで入っていなかった
ずっと渇望していた、そんな空白に。スコンと入ってくる様な。
まだ一通りしか目を通していないが、もちろんこれで全てではないのだよな。
もっと、もっと見たい!!と思った。
今回の本も一冊の画集としては大ボリュームだが、
他にも画集あっても良いのにと思う。
中に「9歳の頃描いたと思われる絵」というものがあったが、
誰に習う前にこれ?と思うような…
自分、今でもこんな絵描けんばい。と思うような、そんな。
描ける人はデッサン詰とかやらなくても描けるもんなのだろうか…等と思ったり。
あるいは、小さな頃から自らいろいろと好きで描いていたのか。
にしても、なんちう才能。(才能と言っていいのかな。)
よく「どうやったら絵が上手くなりますか?」という質問をして、
「そんなのは描かなけりゃ上手くならないよ。」と当たり前に返されるが、
自分、思わず口を突いて出たよ。「どうやったらこんな上手くなれるんだ…」と(笑)。
なんだか、自分のこれから一生かけても彦造さんのこんな絵は描けないのではと
そう思うと、思わず。ぽろっと。
なんだろうね~…
絵(の技術とか)だけじゃないんだよな。多分。
彦造さん自信の経験したもの全てによっても描かれているんだよな。
これらの絵は。やっぱ見てないものは描けんな~…。
剣の表現とか…多分体術というか動きとか、
そういうのを見て、体験して。少しは血もあったか(血統な)。
そういえば、画集の中で「をんや?このポージングは…(どこかで見覚えが)」
と思った絵があって、そう思ったもう一つのイラスト(とある別人画集のゲスト絵)
を見たら、そのイラストに関連したコメント(対談)の中に、
彦造さんの名前が!(ちゃんと読めよ自分(笑))
彦造さんの挿絵をリアルタイムで見ることが出来てる人も確かに居るんだよな…(羨)。
自分が彦造さんを知ったのは(前にも書いたか?)新聞で「追悼展(?)」があるという
そこに載せられていた小さなイラストだったか。
そこでもう一気に惚れたんだが(^^@)(展覧会に行けたのではなく、その小さな絵で。)
彦造さんの娘さんの描いた絵も少し載せられていたのだが、
その注釈というか娘さんの事に付いて少し書かれていたことによると、
娘さんもすばらしい絵の才能を受け継いでおられたようで。
雑誌の挿絵を描いていると、父彦造さんと絵があまりに似ているために、
彦造さんが偽名で描いているというように噂されたそうだね。
それを耳にした彼女は「これ以上描くと父に迷惑がかかる」と
それ以後きっぱりと絵を辞めたのだとか。(後は日本舞踊の師範になられたとか。)
もったいない、と思ってしまうな。やっぱちょっと。
しかし…絵をきっぱりと辞めても、舞踊の道で師範にまでなられるとは…。
これも才能か。
しかし、彦造さんのご家族のお話しだと、彦造さんも大変な努力家というか、
一切手を抜かない性格というか。そんなだったそうだから、
努力できる才能をお持ちの血筋だったのかな…。
画集購入前、これもどこかで目にしたコメントだったが、
彦造さんの絵は血が出てたりというのが多い。とか、そんな事が書かれていた記憶が。
それをみて、(自分は彦造さんの絵をこれまであまり多く見られていないので)
ちょっと恐る恐るだったのだが
(自分はあまり大量の血等は美しいなどとは到底思えない性質なので)、
「血がメイン」という描かれ方はされてない印象を受けたので(血も大量ではなかったし)
大丈夫でした。(表現上必要な量の描かれ方な印象。)
ちょっと怖い絵はあったけどね(^^;)。
(でも、本中どこかに「自分の血で描かれた絵」みたいなのがあったような…。)
(まあ、それは絵の表現とは別の話なのでいいのだけど。)
うっし! がんばろう。自分も。
自分が目指す所(自分の理想とする絵にいつかたどり着く事)に
妥協の余地は無いんだよな。
私のボスが言ってました。自分に身についたものは失われないと。
物や金は失われる事があっても、自分に蓄えられた能力等は無くならない。
自分への投資を惜しんではならんね。