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4月ももう4日である。
(月初めのきまり文句のようだ。)
今日は、家の庭先に
きれいなたんぽぽの花2輪と綿毛(?)が、いい感じに並んでいるのを
遠目に発見したので、
「よし、あとで撮りにいこう。」
と思っていたのだが、
少し後にふと見ると、綿帽子がすっかりと丸坊主になっていました…。
そういうもんです。
いろいろと、思うところはあるのですが、
時代が人を生むのか、人が時代を生むのか…。
何日かの違いで、英雄になれる者なれぬ者。
奇跡的な生還を果たすも、数日後にあっさりと平凡死を迎える者。
備える者に舞い込む不幸、備えぬものに訪れる幸運。
極限の選択状態に置かれ、見事勝利する者、あえなく負け去るもの、
そして、一生そういうものに出会えぬ者。
しかし、結局広く見れば、自然の法則はいたってシンプルだったりするから
難しく考える方が無駄なことなんだろうなあ
と、キーボードの掃除をしながら思う…。
…PCのキーボードって、毎回掃除するくらいでもいいんだろうなあ…。
(間を拭きたい間を…。)
しっかし…今の自分って、既に「敗者」なんだろうが、
こんな生殺し状態でいるようなら、そういう(題的)決定的な2択のほうがましだなと
思うのは、きっとバカなんだろうな…w。
それとも、まだ選択肢が残ってると思うべきなのだろうか…。
50%で確実な成功が拝めるならなんてあほな話をしている自分だが、
こんな自分でも「死と引き換えの」成功とか勝利とか、
そういうのはタブー。絶対なし。自分自身ももちろんだが、
他人のそういうのもNG。そういうのは絶対美化すべきじゃないし、
されるものではないと、自分は思う…。
(「結果として」という場合もそれは私的には『敗北以上の敗者』。辛すぎる。(「死後」は『勝者』だけど。))
(少なくとも、自分は”その”命の重さに耐えられぬ。)
今日は友人宅にお邪魔してきた。
女の子の絵をいとも簡単に、さっさと描き上げてしまう友人。
その友人いわく、
「男の人描く方が好きなんよね。実は。」
だと。
思わず、「んだとー~?!」と言っちまう。
「女の子描くのも好きなんだけど、ほんとは男の人描きたいんだよね~。上手くは描けないけれど。」
とか。
なんちゅううらやましい事か。
自分なんて、女の子描いてると、描けなさ過ぎて毎度凹むだけで、
楽しくないったらありゃしないってな感じなのに。
実は、前に同じようなセリフを別の友人の口から聞いた。
その友人も、女の子絵をばりばりと描きやがるのに、
「実は男の人描くほうが好きなんだよね~。」
だと。
なぜ、好きではないほうのキャラでもアレだけちゃんと描けるのだろうと
うらやましい限り。
上手くないと自分で言える方でも好きでいられる気持ちが、
私にも欲しい…。
最後までなんだかんだとありながらも、
なんとか第一段目は終了となった。
結局3月まで入っちゃったが、
無事終れて、まあよかったよかった(^^;)。
最終的に、いろいろとファイル事項等で変更があり、
その時点で、自分でも忘れていた「1ドットのずれ」等が
発覚してみたりと、あいかわらずの詰めの甘さには
ほとほと呆れるし、
最後に自分で気づいた「1ドット抜け(画像に1ドットの穴が)」
ってやつには、我らながらなさけないやら引いたやら(苦笑)
「この期に及んで、こんな一番の初歩的なことをやらかすとは…。」と。
(最後に修正依頼の画像を描き変えたときに1ドット抜けてた。)
”自分で気づいた”というところが、せめてもの救いか。
世に出回ってからでは、目も当てられん…(恐)。
次は5月締め切り分だが、
今回と同じ仕組みでOKなら、
次は今回よりもスムーズに出来ると思う。いや、思いたいやねw
あー、ねみい。
また眠れない病勃発か?
依頼品は終らねえし…w
もう3月だし
う…つら…う、…つら って感じだし(寝不足とちょっぴりの暖かさ)
あー、そうそう、それと、アレなアレ。
かふーん!!
もう、きそうなんすよ、花粉症に、なりそうなんすよ。
そろそろ。
体質的には持ってると思われるし、
今、自室の窓から見える景色も『杉』。…先っちょたわわにヤマブキ色っ。
家囲むように、杉が植わってますし。(じーちゃんっ!確かに暴風林かもだけど…杉は…(T T;)。)
この先、どんなに花粉症患者が増えても、
山に針葉樹を!と、推進してきた人たちは、
なにも責任とかとる事は無いんだろうなあ…。
なにがハラタツって、
そうやって植えまくった木を、ほったらかしにさせてるのが
ハラタツよな。使えよ!!有効にさ。せめてよ。
人件費?後継者不足?
政府任せにしていてはなにもならんってことは、
すでに多くが実感させられたところだが、
そうさせている所がまた日本という国(きちんと政府というべきか)がなさけないやらなんやら。
「何でも政府に言われても、困るんですよ…。」といわんばかりに。
そう飼いならしてきたのは誰かってな。
日本国を先導しているのは、優れた方々だとばかり盲信していたが、
そんなにはないんだよな。過大評価しすぎてたふしがあるな。
(多少はいらっしゃるんだろうがな。)
アレルギーとかにもストレスは良くないのだろうなあ…。
今日は悪い方の予測どおり、
「貴重な閏日」
となった。
28日までしかない年だったら、
まあ、それなりにあわてて28日が今日のようになっていただけだろうが…。
「2月中」期限の作業。
なんだか、終ったのやら終ってないやら。
『前回のと同じようなもの(作者は別)』と予測していた自分のイメージに反し、
最後の方になってやたらと予期してなかった注文が…。
であるので、自分でも相手の希望通りのものになっているのかどうか
さっぱりとわからんままに、29日を迎えてしまった。という心境。
同じ物が5月締め切りであるのだが、
次はもう少しスマートに進められると、いいなぁと思う。
もし『今回と同じようなもの』ということだったら、
次はもうすこしまとめられると思うけれどな…。
今日は、なんか、わしだけがんばっとるような…。
他は結婚式呼ばれてたり、飲み会に行ってたり…。
個人的には、べつに自分だけ何か悶々とやっててもいいのだが、
それを邪魔されるのは、さすがに…。
自分のことは自分でやるのは当然なのは分かるが、
人の世話までさせるなよ…。こんな時に(イライライライラ)。
帰ってきてずーってぐうたらしてるやつにメシ食わせ。
薪も準備してくれてないから(いつも薪はそいつが入れる)、激寒い中片付け。
その上、また酔っ払ってこたつで寝てるようなやつを、世話せんといかん訳??
さきほど、やっとひとつキリがついたので、
ちょっとだけ気持ちが落ち着いたから良かったものの。
今回も、上手く行かない画像があって、
どこがあかんのかと、いろいろとがんばってみたのだが、
公式サイトには書いてないし(仕様は載ってて、その通りにしてるつもり…なんだけど)、
他のユーザーさんたちのサイトを覗いて見ても、有力な情報を得られず…。
「○○(ソフト名)は××オート生成のときに不具合があり…。」という文章に
「(もしや、作成した画像の方は間違ってないのでは…。)」などと、
自分のせいじゃ無いように思い始めたから、もうおしまい(苦笑)。
…でも、とあるソフトではちゃんと表示できるんだよな…。
どうなるんだろうか、この『2月中が期限』のやつ…。
ちゃんと期限内に収まるんだろうか…(めちゃ不安)
またもや、爪が次々と割れていく…。
だいたい、一度一通り(手の指10本中3,4本程度)割れると
またしばらくは元の爪の強度に戻るのだが、
今回はどうも「2周目」に入ったような。
2周目に入ったところで
ゲームのような特典も無い。
キーボード打ちにくいし(それぞれの指で長さが違うから)。
髪洗う時にひび割れた爪に髪挟まってうっとおしいし。
爪はそれぞれに長さが不ぞろいになって美しくないし。
爪が折れてることに気づかずにとがった爪で皮膚掻いたりして痛いし。
今の所、1,2周合わせて5本が折れている。
体調と、乾燥…だろうか。
体調といっても、主立って「どこが悪い」とか「痛い」とか言う所が
あるわけでないし…。定期検査行ってないから、何かあるのかも知れんが…(^^;)
そういや、ワシ、過去の検査の中で、二度ほど「淡白」で引っかかったんだよな…。
一度は熱出してたからそのせいもあったかもだが、精密検査した訳じゃないので
わからんのだよね。淡白が出てるというのは、どこが悪いんだったっけか…。
ああ、しかし、それは爪とは関係ないか…。
まあ、確かに、爪を伸ばしているからこそこんなにも割れているのだが、
普段、爪がもろくなっていない時には、強い衝撃でもない限り折れないし、
こんなにいっぺんに崩壊してしまう事も無い。
ちえ。指を少しでも長く見せようとしてるのに…。
二月も後半に入ったので、
そろそろ『締め切り』の気配を感じ始める…。
自分にとっての、この『締め切り(タイムリミット)』は
ゲームなどにある「時限死神」の様な(?)イメージ(笑)
締め切りが近くなると、自然とどこからか現れ、
気分が落ち着けなくなってくる。
ある程度の余裕を持たせて見込みを立てているつもりでも、
「何かあるのでは…。」というビビリが入る(ささやく)のがこの「死神」。
余裕あるのなら、最初からその作業自体を
完全にやっつけてしまえばいいのかもしれないのだが、
勢いに任せてやっつけてしまうというのも自分の場合あまり良いことではない。
(自分は「天然」なので、何かやらかす可能性が高い。)
期間に余裕無い作業の場合はそれはもう仕方ないが、
時間があるのなら、時間をかけてよりよく…できればいいなと思う。
しかし、今回の作業時間ももう少し。
そろそろ『まとめ』に入るような感じでいなければ…。
で。
今日の、思わず口から出た言葉…
「ここは、どこ!?」
画像内のパーツがどこがどうなっているか分からなくなってしまい、
思わず出た言葉。
ソフト(アプリ)の仕様にあわせて作らないといけない画像なので、
きちんと守らないといけないルールがあるんだが、
今回作るの初めてだし、しかも、新しいバージョンになっとるから、
その仕様がまた、直感的でなくてなあ…(効率よくしている結果)。
前のバージョンのヤツの『公式』なら解説を見つけることが出来たので
良かったのだが、今回のやつは、見た目がそんなに違いが無く見えたこともあり
よゆーかましてた所、実際組んでみたら、「ああ?!」となって、
まあ、困った困った(笑)
「多分出来てると思う…。」という所には落ち着いたのだが、
まあ、はたして実際にうまくいってるのかどうか…(^^;)
こんな調子で、最後に余裕もって終われるのだろうかなあ…。
(うるう年の「一日」がとても貴重な一日になる可能性も…。)
今日は、友人宅に「馬見」に行って来た。
詳細を書くと、「山車に使う武者人形の乗る馬をちょっと見て欲しい」
ということで、行って来た。
その人形の作者及び、手伝っている私の友人が、
「今回いつもより大きな人形を頼まれたのだが
細かくいじりすぎてたら、どこがどうおかしいのか分からなくなってきたので…」
という事で、第三者の目(意見)を求めたらしい。
自称馬スキーな自分としても、「馬作品が見れる♪」と言う気持ちで出かけてみたら…
思いっきり骨組みでした(笑)
思わず、「ここから推測しろと!?」と突っ込んでしまいましたw
こういう作業工程を経験している人なら、
ここからどういう風にさらに組んでいくのかなどが頭でも
組み立てたれるから、”像”が推測もできようが、
私なんかの「見て楽しむだけ素人」にそれを”見て”というのも、
どうなんだろう(笑)
本物の馬の骨格の方ならまだ分かるが、それとも違う訳だしw…
とりあえず、写真で持ち帰り、そこに肉付けでもしてみました。
かなり自分好みの『ガッチリ型』の馬だけどw
実際に完成するとこ楽しみだな。
山車に乗せる人形の大きさは、様ざまだが、
少なくとも、一般的な『フィギュア』のサイズより格段にでかい。
一度自分も作ってみたいなあ…。
…趣味で作ると置き場所やらに困りそうだけど…(笑)
コーヒーにもいろいろと種類や焙煎方があるが、
美味い不味いはやっぱりあるんだな(好みもあろうが)
と、美味いコーヒーに出会うと、そう思う。
普段は「飲めればそれだけでいいや(ありがたいという意味で)」と思うのだが
ほんとに美味いコーヒーは、
(ほんとに)ほっとすんね。
なんだか、一気に一ヶ月が過ぎた様な気がする。
1月は、
2月中の期限となっている作業依頼モノがあるので、
それに向けて少しずつ作業を進めていた ということと、
今年始まってさっそくどこか現実逃避モードに
気持ちが入っていたような…気がする。
昨年の年始から2月にかけて「やる気モード」にしてみたところ
が、結果的に「やるんじゃなかった」という事になった事が
どこか今年の自分に『経験』として刻み込まれているようで。
(『頭』でというより『体』が(覚えている)という感じか。)
人生のほとんどをかけてやってきたことが、現時点では無駄に終り、
どうもしようもないところに来て居るのだが、
さて、だとしたらどうするべきなのか。
これまでやってきた事を今からでも無駄にせぬように
そこでもっともっと粘るべきなのか
それとも、一切を捨てて新たに考え直すべきか。
(ちなみに、今自分がやっているのは後者側。)
自分とすれば、これまでやってきた事(ある意味自分自身)を
否定したくは無いので(努力は裏切らぬという言葉にまだ悪態をつきたく無い)、
やってきてよかったなと言えるところに就ければいいのだが、
今の世の中、現状を見る限り、その可能性は、もうまず無いといっていいだろうな。
新卒以外のもう得体の知れんような人間を雇うなんて無いねってのが常識だろうから。
だとしたら、「新たに考えよ」という事になるが、
自分が今までの期間かけてきたことが、社会から「要らない」と言われているのに、
はたして、これから新たにやり始めることで、だれが「要る」と言ってくれるのだろうか。
ただ、今までの自分が立とうとしていた土俵ではもう相撲は取らせてもらえないので、
他の土俵にするしかない、そこにわずかながらの望みを…という感じではあるのだが。
はたして人生そううまくはいくもんだろうかな(いかねえだろうな(笑))。
今作業中のものは『ドット打ち』なのだが(なんか、「バクチ打ち」みたいなひびきw)、
やっぱりこれは自分にとってはハマル部分であるようで…。
自分自身の表現法としては使用しないが、
他人のために作業する上で、苦に感じる事の無いヤツであることは
おそらく間違いない。
ずっと集中してられる(というか、してしまう)し、
悩むもののその解決が近くにあるので、精神的にストレスにならない。
変な領域に自分の思考がいってるような感覚になるのだが、
「これがもし人のために自分が出来ることなのだったら。」と
思わずには居れない。
ドット打ちがまだちゃんと職業としてメジャー(引く手数多)の時代に
これに出会えてたら…等と思ってしまうw
(でも結局はそこに就職するぞという進路を取れてなかったろうから、ダメだったろうがな。)
「今でも、ドット絵の仕事ってあるんじゃね?」
と友人は言うが、まあ、その求人は少なかろうし(まあ少なくとも県内には無かろう)、
それも、きっと、そういう学校かそういう専門学校卒の肩書きでも持ってないと、
採ってはくれんのだろう。
そもそも、始めたばっかりの自分程度のレベルじゃな(素人でも使ってくれんやもな)。
なんでも勝手な決め付けはいかんが、
当って砕けて耐えられるような体作りをこれまでして来ていないので、
「作品もって(持ち込み)売り込み」なんて事もやらんしなあ…。
(まあ、それにちょっとだけ近いようなことを去年やろうとして)
(不の経験値になったんだけどなw)
どないしたらええんやろうか…。
とりあえず、今、こうやって、少しだけでも
他人のために自分が作業させてもらえてる場を与えてもらえてるのは
ほんとにありがたい限りである。
人は「そんな事いつまでもやってないで、工場でも何でもで働けよ。」とでも
言うだろうな。それもある意味正論だと思う。
…これまで全く努力をしていない自分だったら、それも当然(当たり前)だと思う。
でも…。(だったら自分って一体何なんだ?と思わね?学士までなってまで何好き好んで重労働者?って)
べつに工場勤務みたいな仕事はぶっちゃけ嫌だって訳じゃないんだ…
下手に勉強してしまったばかりに…。(結局頭よりも体のほうの仕事かよって。)
自分の友人はえらいなと思う。
自ら国家資格持ちであるのだが、実際その職業は自分には向かないと
絵を売って生活の足しにしている。
そう、自分の意志で、道を選んでいる所が。
他人から見れば、なんともったいないと思うのだが、
その仕事に体が辛かったり、薬品があわなかったりとするらしく、
できればその仕事はもうやりたく無いのだと。
実際は、絵だけでは生活できないという事で、
その資格の職業に戻らざるを得ないのが現状なのだが、
事実、工場勤務も経験しているし、むしろ「工場のほうが自分にはあっている」
とまで言う。自分もそう思えたらいいのにな…
(自分は一度も自分のやってきた事に対する結果を見ていないから、)
(合うだの合わないだのすら判断できないのである。)
自己責任とは言うが、無責任だと感じるのは自分だけだろうかなあ…。
学校って、何のためにあるのかな…。
(「うちに入学できたからには就職はお任せください!」と言ったうちの大学を)
(訴えるべきでしたかねえ…(今更だろうけど)。)
そういえば、
今日、就寝中に変な感覚に襲われたな。
(身体の)左側が下になる方向へ寝返りがうてなかった。
痛くて。
体を起こすと痛みはなくなったのだが、
横になった状態で、身体の左側を下にしようとすると、
背中から肺?のあたりに痛みが生じ、普通量の呼吸が出来なくて、
「寝てらんねえぞ?」という感じになってしまって
「困ったなあ」と思ったんだが、
はたして、今晩眠る時はだいじょうぶなんだろうか…(^^;)
いっそ、○とかだったら、身支度いろいろ出来ていいよな。急死よりは。
(いや~、やっぱはずかしーもんとかいっぱいあるでよ~(笑))