4月ももう4日である。
(月初めのきまり文句のようだ。)
今日は、家の庭先に
きれいなたんぽぽの花2輪と綿毛(?)が、いい感じに並んでいるのを
遠目に発見したので、
「よし、あとで撮りにいこう。」
と思っていたのだが、
少し後にふと見ると、綿帽子がすっかりと丸坊主になっていました…。
そういうもんです。
いろいろと、思うところはあるのですが、
時代が人を生むのか、人が時代を生むのか…。
何日かの違いで、英雄になれる者なれぬ者。
奇跡的な生還を果たすも、数日後にあっさりと平凡死を迎える者。
備える者に舞い込む不幸、備えぬものに訪れる幸運。
極限の選択状態に置かれ、見事勝利する者、あえなく負け去るもの、
そして、一生そういうものに出会えぬ者。
しかし、結局広く見れば、自然の法則はいたってシンプルだったりするから
難しく考える方が無駄なことなんだろうなあ
と、キーボードの掃除をしながら思う…。
…PCのキーボードって、毎回掃除するくらいでもいいんだろうなあ…。
(間を拭きたい間を…。)
しっかし…今の自分って、既に「敗者」なんだろうが、
こんな生殺し状態でいるようなら、そういう(題的)決定的な2択のほうがましだなと
思うのは、きっとバカなんだろうな…w。
それとも、まだ選択肢が残ってると思うべきなのだろうか…。
50%で確実な成功が拝めるならなんてあほな話をしている自分だが、
こんな自分でも「死と引き換えの」成功とか勝利とか、
そういうのはタブー。絶対なし。自分自身ももちろんだが、
他人のそういうのもNG。そういうのは絶対美化すべきじゃないし、
されるものではないと、自分は思う…。
(「結果として」という場合もそれは私的には『敗北以上の敗者』。辛すぎる。(「死後」は『勝者』だけど。))
(少なくとも、自分は”その”命の重さに耐えられぬ。)