「今日はリンゴの誕生日だよ。」
と、突然に言うので、
「?。(野良か迷い犬かを)引き取ったのに何故誕生日わかる?」
と思ったら、
リンゴ違いだった。
最初の「リンゴ」は、「リンゴ スター」さんの事で、
自分の「リンゴ」は、飼い犬だった「リンゴ」の事。
その「リンゴ」と名づけたのは「今日は~」といった人間で、
犬の「リンゴ」も「リンゴ スター」からとったものだったらしいが。
いや~、自分にとっては最初のペットだったし良きおにいちゃんだった(涙)。
自分が2歳くらい?の時からのおにいちゃんだったけど。
小学生になるかならないくらいで逝ってしまったけれど、
あんまり自分では記憶が無いような気もするのだけど…
なぜか、リンゴの事を思い出すと、なぜか涙が出るんだ…(いやいやマジに…)。
明確な事は思い出せなくても、
きっとなにか心の深ーいところに大事なものが記憶されているのだろう…。
何故こんなに涙が出るのかは分からないのだが(止まらんとよ)、
いつもそうなんだ…。なんか変だけど(^^;)。
変なスイッチが無条件に入るようだ。
(「短時間で泣く事ができるか」に使っても絶対泣けるかも。)
三つ子の魂~かもしれんと思う。
自分に何の意識とか記憶とか無いと思っていても、
幼少の頃の「なにか」は一生残っているのかもなと。
今日は5月6月と手伝ってたやつの「誕生日」になる。
遊んだその瞬間だけのものではなく、
あとで思い出しても色あせていないような…
そんな深い作品…に、なんて言うのはちょっと望みすぎか…。
(さすがにこの制作時間じゃなあ…(短杉)。)
自分もそんな作品に出会えたら…と思うし、
そんな作品作りの現場に参加できたら…とも思う。
…まあ、それに見合う実力が無いと当然ダメなのだけどな。
一過的な心地よさだけの作品では
やっぱダメなんだと思う。
それは一見、絵には関係無さそうにも思うが、
絵にもいえることかもしれない…。
開放されてばかりでは緩んでしまう。か。