「もう少しやりたいな…。」
と思うところで止めておくことが、長続きのコツ。
であるとどこかで聞いたことがある。
然りであろうと思う。
そこに行く前に止めてしまった場合、
その続きをはたして自分はやるのだろうか…
と不安に感じる事があるw
それは、今描きかけている絵のことでもあるのだが。
雰囲気的に、絵を描いて楽しい状況でも無いのだが
(絵を描くという行為に嫌なイメージが付きつつある…)、
てもちぶさたにでも手が動いたので、
その気持ちを最後までいかそうと思ってはいるのだが…
…くるものが、ない…。(但し、「きそう」ではある。)
せめて、次回に繋がるくらいにまでは、
とは思ったのだが、苦痛を伴い始めたようだったので、
やめた。
「絵を描いても楽しい状況でもない」というのは、
「これから絵を描くはずだった」というところだったのが、
それがぜんぶダメになってきたところの、
今がその一番最後にダメになったところの時期にあたるからで。
今頃は”ひとのために”絵をかけているはずだったのに…
というこのただ中に虚しく無駄絵を描いているのか自分は…と
感じてしまわなくも無い訳で。
確かに、自分のプライベートに絵等を描けているというのは
幸せな事であるのだろうし、それを「無駄」と思うのも
実際正しくは無い。
しかし、いまだに全然震災中に居られる方もほんとにたくさん居られて、
自分はのーのーと…。それでいてここに来てボラ絵もなし。実入りもなし。
何にも出来んのやねえ…と。(やる気が無いだけなんだろうけど。実際は…。)
今日のニュースで、福島原発の影響で、受注が激減りした工場の話があっていた。
そういう話はほんとにたくさんあるんだろうな。
今の社会構造って、政治も含め、どれも無責任なもので構築されているんだな。
そんな風に思ったことも無かったが、そう思いたくなかったから
そう思わなかっただけで、実際はずっとそうだったのだろうな。
表向きはいい事だけを並べ、実際は金儲けだったり利権だったり。己己。
あなたにもおいしい話ですよ。と、言うだけ言って、
いざ立ち行かなくなれば、あなたも同意されたでしょ?とばかりに、
はいさようなら。責任なんてとりゃしない。自分はもう関係ないという風に。
(責任とっても結局ほんとにわずかばかり。)
そういう事、個人では出来なくても、組織となればどういうわけか
そのようにできちゃったりしてる訳で…。
組織に守られているからできることなのか、団体心理からなのか…。
もちろん、誠意をもった会社や政治家もあるが、
多分少数単位なんだろうな…。
目に映る部分が否定的な部分が多い昨今ではそう感じる事も多くなった。
最初から悪意を持って接する人間は少数だが、
真の責任感を持って仕事をしているものがどれだけか。
そして、そういう人間がまとうな仕事(就労)が出来ているか…。
結局口のうまいやつがうまいことやって席を取って動かないからな…。
もしかすると、奇跡的な数値なのかもしれないね。