「自分は常に現実逃避して生きているのだな…。」と思う。
	昔は…どうだったか知らない。
	「逃避」はしていなかったかもしれないが、
	少なくとも「盲目」では居たか。
	与えられたものをただひたすらにこなしていっていれば、
	それでいい。生きていけるのだと、そう思っていた…のだと思う。
	そこに、「反発」やら「疑い」やら、持たなかったんだな。
	とにかく、「信じて」、素直にがんばっていればいいんだと、
	思ってたんだな。そう。結構最近まで。
	でも、結局それじゃ生きていけないってことに現実なっているのだが、
	もう、自分にとっては「今更」なことなので、
	どうしようもない…というのは投げやりすぎだが、
	どうしていいやら、習慣(生き方)になってしまっているので
	もう完全にダメダメ人間に出来上がってしまっているわけで。
	つまり、自分から「○○がしたいんだ!」という事に、
	自分から自分を”持っていく”事が出来ないでいる…。
	アンビシャスがないと言うんだろうかな。
	一応、やりたいことってのは自分にもあるのはあるのだけど、
	本来、そのために自分で努力し、勝ち取って、もぎ取っていくものなんだが、
	そういう概念が希薄になってしまっていて…。
	努力は一応自分なりにはやってきたと思っているんだが、
	それはあくまで、敷かれたレールから外れないようにやってきたことであって、
	最終目的の何かを勝ち取る為の、自分自身からわくものではなかった…という事。
	(「がっつき」を身に付けられなかった。という事。)
	だから、”自分のやりたいこと”に対して、『尽くす』という事が、
	自分には全然足りないんだと、実感する。(やり方が常に甘い。と。)
	
	何かの具体的な職業につきたいのなら、その手の資料を集め、
	時には資格をとり、その手の学校に行ったり、やりまくるくらいやらないと
	ダメなんだよな。(現実的に。ただ漠然と自分勝手に自分を磨くとかそういう事じゃなくて。)
	でも、すでに自分には大きな既成概念が出来てしまっている為に
	(既成概念:これだけ自分は真っ直ぐやってきても不必要なのだ。という結果。)、
	どうやっても、結局は(結果は)同じなのだと、どこかで思ってしまう…。
	何十年と信じてやってきた結果がこうなのだから、所詮自分がこれから
	(自分のために自分で)なにをやってもどうせダメなのだ。と。
	
	だから、この頃は、二つの意味での現実逃避…。
	一つは今の情けない現状を受け入れられないところの現実逃避。
	そしてもう一つは、自分はどうせ、どうやってもダメなのだが、
	やりたいと思っている事を疑わないということの現実逃避。
	一つ目の意味はそのままだが、
	二つ目の意味は、「やってもどうせ無駄だ」という現実からの逃避。だな。
	何かやっている最中に「だめだ」という声が聞こえる事はあるのだが、
	そこを逃避する。
	…まあ、そうしないともう、いよいよ…ではあるけどな(^^;)
	(負けることもある。)
	
	ただ、いずれにせよ、がっつきは無い訳だから
	(毎回ちゃんと一所懸命にはなるんだが「がっつき」ではない)、
	現状を打破できるような見込みは無いといえる。
	だが、「今の自分でいい」とどこかで思いたい、という本音。
	(「絵」のことも「現状」のことも。)
	
	なんか、変に『暗』く映ってるかもしれないが、
	これって、結局、自分の「超楽観主義」から来てるものだからねw
	ご都合主義というか。
…だからこそダメ(自己嫌悪する所)なのではあるが(ー”ー)。(自分で真剣みが足りない)
	
	しかし、いつかは自分にも『決定打』が下される事にはなるのだろうから、
	せめてその時までに、何かしら自分にとっての「結果」が出ているといいな。
	(…自分で「納得」が出来る何かが。)
	(「既成概念」の様な、「一所懸命やったけれど…。で?」みたいな事じゃなく。)
	((今の現状を納得せよだと?やーだね。自分の人生こんな事にされて誰が今更。))
	あー…、他の所の見てると、早く始まってくれないかなと、そわそわしてしまうぅー。
	「その時」が来るのが、待ちきれぬー!!
	まっさんのヤクルトとやったら一番いいのぉ。
