(自分の胸の内にとどめておこうと思っていたのだが、
吐き出さなきゃ気がすまなかった…。)
ここ数日やっていたRPGのゲームを昨日クリアしたのだが、
なんとも…。
「『英雄』のアンチテーゼ」がテーマのゲームだったのだが、
「こんな終わり方しか出来なかったのか。」
という結果に、幻滅気味。
バッドエンディングだったのか…?(マルチエンディングだったっけ?)
結局、英雄を英雄とする終わらせ方でしか形(かた)をつけられなかったし、
テーマを押し付ける感じにとれる主張はただくどいばかりだったし…。
(こっちが分かりきっている事(理論)をただただ繰り返されるだけでは)
(ひどくくどく感じてしまう。)
これはシナリオを作った人の○○が○○だったのか、
あるいは、もう企画の最初から○○だったのか…。
(「言いたい事」と「やっている事」がいまいち合致していないんだよな…。)
これだけいわゆる大きな「ヒロイックファンタジー」系統に対抗しようとするなら、
最後ぐらい(というか、最後まで?)「おお!」と目の覚めるような
決着をつけてほしかったと思う。
結局テーゼどおりの結末で。
これじゃ今までの主張はなんだったのかと、
いい印象が残らない。
そもそも、『英雄』例えば『勇者』という特別な存在が
一人で世界を救っているなんて思って
ゲームしてる人なんて居るか?(まったく居ないとは言わないが(笑)。)
直接は見えないが、周りで支えている人が居るからがんばれているわけで、
独自にがんばっている人、地域を守っている人。お店一つにしてもそうだ。
そこに光を当てたいって言うのならわかるが、そういう意図でもなかったし。
「『英雄』一人だけに押し付けないで、みんなでやろう!」
事をテーマにしていたのだろうが、
どんなヒロイックファンタジーものでも、
そういう見えない(日常の)努力は常にあった訳だし、
その日常のがんばりをたたえるわけではなく、
みんなでその事(危機)に対して団結しよう!って事を強要するような…。
例えば、経済が危機だからと言って、全員が経済のこと(だけ)の事をやれば
世の中良いのかと言うとそんなことは無い(と思う…)。
日常生活を守るのも大事な仕事だ。
じゃあ「無関心だ」ってのを問題視しているのかもしれないが、
今回やったゲームではテーマに「無関心」は無く、
問題にしているのは「押し付け」の方だったしな…。
日常の、目に見えない努力。
そういう事を深読みしてゲームしている自分が特殊なのか?
一般的に、今まで英雄は押し付けられてやっていたのか??
目に見える形じゃなく、目に見えないことにも感謝する。
そういう気持ちを大事にする方が、大事じゃないかな。
個人的にゲームはテーマ(というか主義)の押し付けが無い方が好きだ。
言いたい事はいくらでも言っていいが、
それを判断するのはやはりプレイヤーにあってほしいと。
(けしてマルチにしてほしいという訳ではない。)
まあ、もともと「RPGは箱庭だ」という人が居るように、
ゲーム中は作られたものよりも外に行動することは出来ない。
しかし、そんな中でも自分で考え、常に自分の主張を持って居られるような
そんなゲームが…いいなあ。(わがままだからねぇ…(笑))
なんでも自分で考えないと…。
それこそ「押し付け」はイカンよ…。
このゲーム。イラストとか基本システム(謎解き)とか大好きなのになぁ…。
(1も良かった。音楽がまた良いんだよ~。)
3に期待しよう…。