ポージングほんとどうしよう…(まだ言ってる)
(たぶん、しばらく言ってる…。)
て、まだ顔すら全然出来上がって無いのだが。
体に関しては、
服装の方も未決定で、
『はだか』っていう選択肢も実の所あるんだよな。
変な意味はなく、
前からずっと言ってた「筋肉標本」の代わりになるような
そんなのをついでに作るって手もあるんだよな。
うーん…
先日、(歌にそこそこの自身のある)身内がぽつりと
「自分では少しはできると思ってたけど…」
ある時 自分で思うほどでも自分はすごくなく、
ほんとにこれまで勉強してきているプロやセミプロの人たちとは
”やはり”違うのだな…と実感したのだと。
私はその身内が歌がそこそこ上手いという事は知っているが、
どれほどのものかはソロでまじまじと聞いた経験が
ほとんど記憶に無いので実際自分で軽く落ち込むほど
実力が無いのかどうかは分からないのだが。
それなりに自分で自信を持っていたその人が
自らそう思い至るとは…。
自分も、普段は「自分はまだまだ全然出来てない。」と思っていても、
描いてる最中とかに一瞬「描けてる。」と思うことが実際ある。
多分、多少なりともそういう錯覚?がないと
自分などは「下手の物好き」を続けられないのかもしれないのだが、
にしても、やっぱり自分も一瞬でも「描けてる。」等と思うあたりは
同じ血筋か…と思ったり。
その身内とも話したのだが、
ほんとにプロの中でもさらに『一流』と呼ばれるような人たちは、
もちろん、努力などの面も当然一流であるが、
生まれ持ったものと言うものがあるよな。と。
例え同じ努力ができたとしても、生まれ持ったものの違いで
同じ物にはならないと。同じ努力でも成果は違うし、
それに伴うやる気も変わってくるし…。
生まれ持つ運というものもある。と。
自分もその「生まれ持ち」というものがあるという意見は認めるが、
ちょっとだけ考え方が違う。
人間、多分、誰もが『一流』となれる何かを持って生まれてると思う。
ただ、その「生まれ持ち」の方向と自分の「やりたい」方向、
そして、「時(運・環境)」の方向が”ばちっ”と一致するか。
その差だと思う。
「あなたはこの道で一流となれる基を持ってますよ。」と例え言われても
人間、ほんとに自分が心からやりたいと思っていることでなければ
全力の努力はできないし、伸びないだろう。
外から無理やりやらされてやるより、自分がほんとに好きなことをやるほうが
人としては幸せであるようにも思うし…。
上手い(向いている)から(上手いといわれるから)好きになる部分と
好きだからこそ下手でも上達していける部分と
支え、見守ってくれる環境
ギブアンドテイク、ともにやれる仲間
そして、それが出来る時間(PEACE)
だからいろいろと難しいんだよね。