ワーキングプア。
就労していても、生活保護受給者家庭よりも収入(?)の少ない人の事。
というように記憶しているが…。
昨日ニュースか何かでちらと聞いたのだが、
「働いている人の収入よりも生活保護の受給額のほうが多いのはおかしい」
というような事で、”生活保護の給付額を下げようか”という議論が
あるとか無いとか…。
なんだか、議論すべきは”そこ”じゃないのでは…?
等と思ってしまう。
生活保護の金額がどのようになっているかは知らないが、
”最低限の生活が営めるよう必要な額”という事で決められているのでは?
(生活保護、少々安易な面もあるような所も…という問題はさておき。)
それよりも”就労して”得られる給料が、その最低限の生活を営む為の賃金すらも
得られていないという事…その方がよほど問題だと思うけど…。
実際、ワーキングプアの人の中には、本当にいわいる「最低限の生活」も
ままならない状態に居る人もあるので、言葉は正しいかどうかは分からないが、
ホームレスの生活に近い状態を強いられているケースもあるとか。
そもそも、”働いているのに、生活できない”というこの異常。
社会として完全におかしいことになっているでしょう、これ。
(自分は理系出身なので詳しい事は分からんけども、それでもおかしいと思うが。)
これまた、少々適当な言い方かもしれないが、
生活保護の給付額を下げることは、国のいろんな財源が乏しい中、
国としてやれるならやりたい事かもしれないが(多分否定するだろうが)、
仕事が出来て、妥当な賃金を得て、健康的な生活を送れて…
人々の前向きな力が国の富へと繋が…らないのかな。
前も一度(?)愚痴ったが、
ロストジェネレーションも早く正常に稼動させられるようにしないと、
世の中の悪循環はますます酷くなる事になりそうだと、私は思う。
人は環境による行動原則も。
おかしな環境に居れば、人間おかしくなる。
おかしな犯罪が起きても、これしかり…とも、考えられなくも無い、のでは。
…というのは少々安直か…?
一切挨拶の習慣の無い家族のなかに居れば、
その子供たちはそれが普通で、当たり前であると学習するだろう。
(普段から体罰のある家族の話もこれに近いようですが。)
社会全体の体質がおかしな状態にあれば、その中の子供達は
果たして健全に育つことが、これ果たして可能なのだろうか…。
人に夢と希望を与えること。
あらゆる仕事の原点はそこにあるような気がする。
いまの国の”先生方”は一体どういう”仕事”をされているのか。
…ああ、問題は議員よりも役人の方だと耳にしたような気もしなくも無いな…。
(それは別の問題?)